ハイデガー存在と時間 要約 - 唯物論者

(17a)矛盾集合に対するドイツ観念論の解釈 自らを要素に含まない要素集合の矛盾は、ツェルメルとラッセルの集合論パラドックスとして知られている。もともとドイツ観念論においてこの問題は、カントにおける自己否定的理性の矛盾として問題視されていた。それは、自己意識が自己を離れて神の視線で認識を行う矛盾であり、その端的な矛盾表現がカントの物自体概念であった。そこでの自己意識は、自らを要素に含まない要素集合であり、それだからこそ意識は無として現れる。論理実証主義ではこの矛盾を回避するために、次々に論理前提を導入した。要するにそれは、矛盾集合と言う集合枠を作り上げて矛盾を回避すると言う論理上の操作である。一方でドイツ観念論は、このように前提条件を捏ねまわして矛盾解消を目指すことに興味を示さず、自らを要素に含まない要素集合の成立可能性に注目する。それと言うのも、認識および存在の運動の開始点で自らを含まない要素を定立するのは、既に矛盾だからである。言い換えれば、分裂する世界が始まりに既にあり、そのくせ両世界が交信可能だと言うのは、両世界がちっとも分裂していないことだからである。ところがそれにも関\xA4

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させる。

(17b)自己否定と矛盾集合 ヘーゲルにおける論理実証主義の先取りはさらに進む。それは矛盾集合自身の矛盾集合の問題である。それは矛盾集合全体の外側に立つ要素としての矛盾集合である。もちろんその最初の姿は、生命の本体を成す意識の自己であった。ただし矛盾集合自身の矛盾集合は、自己を定立するだけで終焉するものではない。新たな矛盾集合全体の外側には、常に新たな自己が逃げ水のように現れるからである。なぜなら全体の外側には常に無があり、自己はその無として現れるからである。この悪しき無限循環の終焉は、自己が自ら自己であるのをやめるまで続く。自己が自ら自己であるのをやめることは、自己ならぬ一般者を自己として定立し、個別者としての自己を放逐することである。このときに意識は、自己ならぬ一般者を他者として定立する。そしてこの他者の定立が、自己にとっての自己を定立する。すなわち自己が自己であるのをやめたとき、初めて自己は自らが自己であるのを知る。したがって自らの矛盾集合としての意識の自覚も、ここでの自己否定において自己の自己としての自覚をもって初めて現れる。それゆえに「これ」も「今」も「ここ」も自己では\xA4

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(17c)矛盾における一般者の定立 矛盾集合を矛盾集合たらしめる矛盾の根幹に無がある。矛盾集合では一方で要素が無いと宣言しながら、他方で要素に無を含めている。したがってもともとその集合が矛盾を持つのは当たり前である。現実例として代名詞を見ても、「これ」は一方で無限定な一般者でありながら、他方で限定された全ての個別者である。このことが表現するのは、対象を示さず結合しない「これ」の単独文が無意味だと言うことである。それゆえに本来的に「これ」は、具体的な個別者と結合することで自ら有意にならなければならない。ところが自己否定する意識は、この結合を自ら拒否している。その拒否が目指すのは、自らの一般性の維持である。しかし単なる拒否は、「これ」の単独文と同様に自己を無意味にする。それゆえに自己は、結合の必要と拒否の矛盾に直面する。「精神現象学」の理性の章が描くのも、カント式の観察理性の挑戦とその不幸な現実である。そこでのヘーゲルは、カント式不幸の処方箋として目的論を提示する。すなわち、自己否定する意識は、目的実現を通じてさらに否定されなければならない。言い換えるなら、自己否定する意識は具体的な\xB8

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(17d)絶対知と矛盾集合 ヘーゲルが「精神現象学」の精神の章と宗教の章で展開するのは、一般者の定立を巡る世界史と宗教史の考察である。ヘーゲルの試みは「精神現象学」の精神の章に至るまで語ってきた思惟の運動を、再びこれらの章において現実世界の歴史として再現することにある。ただしその世界史は、抽象的一般者としての精神の歴史であり、労働と生産物の分配を巡る具体的な現実世界の歴史ではない。なぜならヘーゲルにおいて歴史の動因は、自らの論理矛盾を補填する思惟の衝動だからである。それゆえにヘーゲルにおいて自己否定は、一般者の定立のための必然になっており、奴隷における暴力によって強制された現実の自己否定と異なる。その現実とのギャップは、そのままヘーゲル歴史観唯物史観のギャップになっている。一方でヘーゲルにおける矛盾集合のパラドックスの解消は、歴史的理性すなわち絶対知の確立である。絶対知にとって自己否定は自らの構成要素であり、自己否定によって自己は自己の外に自己を立てない。なぜなら絶対知は無を含めた知の全体であり、その自己の外も自己だからである。それゆえにその矛盾解消の形式は、∞が(∞+1)を\xA1

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の自覚は観念的な可能性に留まったままであり、それは現実となるべきだと言うことである。そして批判の第二は、実存主義が提示する。それは自覚する主体を問う形で現れた。すなわち、精神とは現実存在する個別者の意志であり、不明瞭な集団的世俗ではないと言うことである。この二つの批判において前者の批判は、意識の上での矛盾解消を批判し、共産主義の実現を提示する形で現れた。しかし後者の批判は、抽象的一般者との結合を否定しても、具体的な個別者との結合に戻ることもできず、結果的に別種の超越者との結合を目指すしかない。結合の現実性を失ったその方策は、カント式の不幸の道へと入り込む。ヘーゲルにおいてそのような不幸な意識が幸福を得るためには、カント式のすり替え、すなわち不幸の実現に自らの幸福を見い出す自己欺瞞を必要とした。そのことが示すのは、前者の批判と癒合しない限り、後者の批判は自ら再び非合理主義の迷路に没入せざるを得ない、と言うことである。

(2017/12/10)

ヘーゲル精神現象学 解題

  1)デカルト的自己知としての対自存在

  2)生命体としての対自存在

  3)自立した思惟としての対自存在

  4)対自における外化

  5)物質の外化

  6)善の外化

  7)事自体の外化

  8)観念の外化

  9)国家と富

  10)宗教と絶対知

  11)ヘーゲルの認識論

  12)ヘーゲル存在論

  13)ヘーゲル以後の認識論

  14)ヘーゲル以後の存在論

  15a)マルクス存在論(1)

  15b)マルクス存在論(2)

  15c)マルクス存在論(3)

  15b)マルクス存在論(4)

  16a)幸福の哲学(1)

  16b)幸福の哲学(2)

  17)絶対知と矛盾集合

ヘーゲル精神現象学 要約

  A章         ・・・ 意識

  B章         ・・・ 自己意識

  C章 A節 a項   ・・・ 観察理性

        b/c項 ・・・ 観察的心理学・人相術/頭蓋骨論

      B節      ・・・ 実践理性

      C節      ・・・ 事自体

  D章 A節      ・・・ 人倫としての精神

      B節 a項  ・・・ 自己疎外的精神としての教養

         b項  ・・・ 啓蒙と絶対的自由

      C節 a/b項 ・・・ 道徳的世界観

         c項  ・・・ 良心

  E章 A/B節    ・・・ 宗教(汎神論・芸術)

      C節      ・・・ 宗教(キリスト教

  F章         ・・・ 絶対知

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